Column

Prix de l'arc Triomphe ───斜陽の古都、弧光が英雄を照らし

この馬で凱旋門賞を勝つ─────世界最強を目指し、挑戦した男たちのことを覚えているだろうか。あれから7年が過ぎた。2006年10月1日、ディープインパクトが頂点に挑む。

約束の地

エルコンドルパサーのオーナーである渡邊隆氏はインタビューの中で「このレースを勝てば世界から名馬と認められるレースが4つある」と述べた。そのレースはキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス、ブリーダーズカップ、ドバイワールドカップ、そして凱旋門賞。サンクルー大賞の圧勝に手応えを感じた氏は、エルコンドルパサーの海外キャンペーンにおける最終目標に凱旋門賞を選んだ。

最強馬決定戦にふさわしい施行時期とメンバー、過去の名勝負、そして名前のもつ響き。世界にビッグレースは多々あれど、凱旋門賞には特別な存在感がある。1920年の創立以来欧州馬以外に勝利を許したことはなく、まさに聖域と呼ぶにふさわしい。

決戦の舞台であるロンシャン競馬場をオレ様が訪れてからもう7年が過ぎた。ロンシャン競馬場はパリ市を貫くセーヌ川のほとりという立地条件ゆえに水はけが悪く、良馬場と重馬場でガラリと表情を変える。あの日のコンディションは週半ばから降り続いた雨の影響で、レース史上他に類を見ない不良馬場となった(*)。

エルコンドルパサーがレースを引っ張り、モンジューが追撃。3着とは6馬身、4着とは11馬身の差をつけたマッチレースは「勝ち馬が2頭いた」と現地プレスに言わしめるほどの名勝負となった。しかしレースが終わった後のオレも人生稀に見るウェットなツラをしていた。負けたことそのものより、良馬場での走りを見たかった。

※当時のレース後の現地の反応についてはK. Maruyama氏が翌日のParis Turfの記事を翻訳されているので、こちら(http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/7473/Arc99_1.html)をご覧頂くのがよいかと()。

以下、念のため魚拓(ジオシティーズいつ消えるかわからんのでな)。

エルコンドルパサー関連の仏紙Paris-Turfの和訳
サンクルー大賞の翌日(7.5.99) l'article sur Grand Prix de Saint-Cloud(1999)
↑の囲み記事 column dans la meme page
凱旋門賞の翌々日(10.5.99) l'article sur Prix de l'Arc de Triomphe(1999) 1ere partie
↑のつづき 2eme partie

あのとき半馬身届かなかった世界最強の称号。ディープインパクトにはそれを手にする資格が十分あると思う。今年は頭数こそ淋しいものの、モンジューの息子であり昨年の覇者ハリケーンランがいる。そのハリケーンランを破り、絶好調のスミヨンを鞍上に迎えたシロッコをデイラミ役とするなら、さしずめプライドはボルジアか。7年前のメンバーに重ね合わせたのは感傷に浸ろうというわけじゃなく、世界最強を名乗るからには相応のメンバーを倒してほしいからだ。

未練

エルコンドルパサーは11月に行われる北米の最強馬決定戦であるブリーダーズカップレースへの参戦プランもあったのだけど(*)、凱旋門賞を最後に引退することを現地で佐々木調教助手から教えられたのは発走の1時間前くらいだったと思う。

このレースで最後なんだ。

レース前から泣きたい気分になった。レースが終わって、泣きじゃくっていた。負けたことそものもが悔しいからじゃない。こんな素晴らしい馬の走りをもう見ることができない。それがつらくて仕方なかった。もし良馬場でやったら絶対勝ってる、そう信じてた。でもその機会は永遠にない。それが悲しかった。

エルが最強かどうかなんてどうだっていい。今回ディープが勝てば文句なく日本史上最強馬。それでぜんぜん構わない。オレを惹きつけてやまなかったのは最強を欲して道なき世界を歩んだエルとエルを取り巻く人々の姿なのだから。ディープに限らずどんな馬もエルの姿が重なることはない。

ジャパンカップ当日に行われた引退式の際、渡邊オーナーは「いつかきっとわかって頂ける」と話していた。うん、わかってます。わかっているけど、納得してるわけじゃなかった。子供たちに夢を託す、という考え方はオレにはできなかった。自分の気持ちに踏ん切りがつかず、そうこうしているうちにわずか3世代だけを残しただけで鷹は天に飛び去ってしまった。

重ならない影

「ディープを応援するの?」凱旋門賞参戦が決まってから何度も目にしたエルコンドルパサーファンに対する問いかけだ。どんな返答を期待してるのだろう。「エルの雪辱をディープに果たしてほしい」というのはいかにもマスコミが喜びそうだ(ディープをスペシャルウィークに置き換えただけの文を、7年前のジャパンカップで何度も目にした)。 アンチが期待するのは「負けちまえ」なんだろうか。

エルはエル、ディープはディープ。

ハリケーンランに父が果たせなかった連覇を成し遂げてほしいというのがオレの正直な気持。エルが超えられなかった壁はどこまでも高くあってほしいのだ。

それでもディープ(とユタカ)に対し、永きに渡り挑戦し続けてきた日本競馬の到達地点としてどんな競馬を見せてくれるのか、という期待は抱いている。ディープの勝利、それは過去に挑戦してきた馬やスタッフの成果でもある。「すべてが線でつながって、今回がある。」とはユタカへの蛯名の言葉。頂点に輝くのなら、それはそれで嬉しいことなのだ。

いずれにしても今日で日本競馬は大きな節目を迎えることになる。

かつてエルが2着したときにも奇妙な達成感とともに目標の喪失に近いけだるさを少なからず感じていた。それは恐らくオレだけではあるまい。ディープインパクトとユタカ、それはすなわち史上最強の部類に入る馬と史上最高レベルの腕を持つ騎手という競馬初心者でもわかる考えられるベストの組み合わせが、世界最高峰の舞台に挑むのである。それゆえにオレは懸念している。ディープインパクトが勝っても負けても、この先明るい未来を描けずにいる。

不安

「オレはこの先、競馬に情熱を持ち続けることができるのだろうか」

7年前、ロンシャンのゴール前で、府中の引退式で、自分に問いかけた。同じことを今度はすべての競馬ファンに対して投げ掛けることにならないだろうか。

その答えはいずれわかる。今は良馬場でレースが行われることを祈ろう。

出走時刻まであと2時間を切った。現地で朝まで降り続いたという雨は、見えない何かが最後の抵抗をしていたのだろうか。

上手く行き過ぎだ。

有力3歳馬の不在、欧州陣営が用意できなかったラビット、10頭を割ってしまった出走馬、急速に乾いていく馬場。

状況がちょっとディープに都合よく回っていることが何か引っ掛かる。

もっとも運も実力のうち。ひょっとしたらエルコンドルパサーは、凱旋門賞を制するだけの運が足りなかったのかもしれない。サガミックス以下ダンゴだった1998年。パンパンの良馬場だった2000年。前でも後でも1年ズレてたら、いややめておこう。これ以上のタラレバを言って何になる。

重なる影

枠入りの順番は交渉することで最後にしてもらえる、それはエルが取った戦法だ。この時からオレの脳髄は7年前にタイムスリップしていた。押し出されるように前での競馬となり、有力馬すべてにマークにされたのも同じだ。フォルスストレートはクリアしたが直線早めに仕掛けてしまったのも、先に抜け出して勝ったと思ったところに並びかけられる。追い詰めたのは斤量の軽い3歳馬。ここまで同じなのか?

ディープは抵抗した。差し返す根性を見せた(この差し返しは予想外で、俺の中のディープ評価を上方修正することに)。しかし、恐らくは、59.5kgという斤量でいつものような脚を使い続けることができなかったのだろう。でなければレイルリンクはおろかプライドにまで交わされるとは思えない。ディープにとってもユタカにとっても初めてブチ当たった力の限界、だったのかもしれない。負けるシーンなんて想像できなかったファンの悲鳴が痛い。

3着、という事実を目の前に突きつけられて浮かんだのは「エルのほうが強い」という思いだった。何のことはない、エルコンドルパサーは最強と名乗って恥ずかしくない強さを持っていたんだよ、それをオレは「エルはエル、ディープはディープ」だの「最強でなくても最高であればいい」なんて言葉でずっと自分の心に予防線張ってただけか。卑しいな、オレは。でも卑しい自分を認めたことで心が楽になった。だから思う存分好きなだけ書いてしまおう。

回顧、そして

今回の「直接の敗因」は斤量差ではなく斤量そのものだろうと考える。ぶっつけで挑むからこうなるという声が多いが、裏を返せば順調にステップを使ったハリケーンランやシロッコをねじ伏せているのだから文句なく強い。それでも1馬身弱足りなかった。最強に手が届かなかった。

馬の力はきっと足りていた。

オレはぶっつけ本番を悪いと思っていない。長期滞在なんてしなくても十分勝負できているケースだってあるのだ。斤量だとか、芝の重さだとか、滞在期間だとか、そんなのは全部表面的な問題でしかない。しかし間違いなく長期滞在のほうが成果を挙げる可能性は高い。

日本における海外遠征のエキスパートといったらオレは真っ先に森師が浮かぶ。キングジョージやケンタッキーダービーなどのメジャーレースだけでなくシンガポールやオセアニアまで視野に入れる森師だが、凱旋門賞にだけは一度も管理馬を出走させようとしていない。同日同競馬場で行われるアベイ・ド・ロンシャン賞を勝っているにも関わらず、だ。

ズバリ勝算がないからだろう。裏を返せば「出るからには絶対に勝つ」シナリオが必要なのだろう。

森師の馬のローテーションは鞍上の占めるウェイトが大きく、日本人ならまずユタカをおさえにくるが、当然常にユタカをキープできるわけでもない。そこで師は地方交流競走に目をつけた。平日であればかなり高い確率でユタカやリーディング上位騎手を確保できる。また一時期交流重賞に必ずと言っていいほどノボトゥルーとノボジャックのノボノボコンビを登録していたのも、賞金による優先順位で他の厩舎の有力馬を除外させ管理馬に有利な条件とするためだ。中にはそれを卑怯と叩く連中もいるけど、プロフェッショナルに勝つことに徹している森師と馬主との信頼関係は厚い(反面、嫌いな人には徹底的に嫌われるのだが)。

そんな森師だから海外遠征先にしても著名なレースにこだわらず、馬の適性に合えば香港だろうとイギリスだろうと構わない。失敗に終わることだってある。それでもやり続けることで何にも変えられない経験となる。そして今の森師がある。

似て非なるもの

揉めに揉めた1999年のJRA賞のときのこと。正直オレはゲンナリしていた。オレ自身も年度代表馬はスペシャルウィークと思っていたくらいだから、スペシャルウィークやグラスワンダーを応援している人からしたら納得いかない気持はわかる。だからってエルのせいにしたり過小評価するのはおかしいんじゃないのか。ルール上エルが候補として認められている以上、出された結論に文句を言うなら選出した人や仕組みそのものに対してだろう?かつて日本競馬が経験したことのない死闘からたった3ヶ月しか経っていないのにもうお前らは忘れたのか(厳しい言い方をするならスペもグラスもウィークポイントがあったから票が割れたことを棚に置いてエルを非難するのは卑怯というものだ)。

同時にわかったことがある。エルコンドルパサーの凱旋門賞2着はエルに関わった人たちの想いの結晶でもある。それを単に「日本馬もここまできた」としか捉えられないのだとしたら、この先10年20年が経ち何頭何十頭とロンシャンに挑もうと決してエルを超える成績は残せまいよ。そのことに気づい時に改めてチームエルコンドルパサーは再評価されることになるに違いない。そのことを今になって思い出したのは、皮肉にもディープのおかげなのだけど。

2010-10-03追記:ナカヤマフェスタの2着は断じて“奇しくも”ではない。娘の願いを叶えたい、という想いが結晶となり、再び結果をもたらした。それはやはりチームの力なのだ。なぜかそこんところをまったく理解しようとしない連中が「エル基地涙目www」とプギャーしていたが、的外れもいいところ。

ディープには馬格がない。初めて背負う60kgに斤量泣きするかもしれないことは想定できたはずだ。フォア賞の負担重量は58kgだが愛チャンピオンステークスのそれは59kg、コースこそ異なるが距離は2000mで本番まで中3週と特別ハードなローテーションでもない(しかも今年は5頭立てだった)。そういう選択できないのは見ている世界が狭いからだ。

足りないのは覚悟の量だ。長期滞在の成功率が高くなる理由もそこにある。掛かる費用もバカにならないし、遠征中は賞金の高い国内のレースに出走することもできない。見ず知らずの環境では馬だけでなく人もトラブルに巻き込まれるかもしれない。様々なリスクがあることを承知した上でなければ長期滞在はできない。エルの成功例があってもなかなかフォロワーが出ないのは、つまりそういうことなのだ。

渡邊隆は長いこと自分の血統に対する持論を証明したいと思っていた。だからセールで購入するのではなく配合にとことんこだわり続けた。その執念の結晶ともいえるエルのキャンペーンに関して費用を惜しむわけがない(*)。飼料はすべて日本から持ち込んだものを与えた。帯同馬も結局現地で3頭追加購入した*。二ノ宮師は競馬畑出身ではなく、無論最初から海外競馬に明るいほうではなかった。だから熱心に研究し、納得いくまで何度も海外に脚を運んだ。佐々木助手も肝が据わっていた。遠征の最初から最後までほとんど一人で調教から世話をやりきった。

そろそろ気がついてもいいはずだ。目先のリスクに振り回されることで失うものは大きいことに。最強馬と最高の騎手を迎え臨んだ最上の舞台での失意。払った代償の大きさをJRAはどこまで理解しているのだろう。エルコンドルパサーが負けたとき、不思議とモンジューの強さを称えることに抵抗はなかった。ゴールの瞬間もため息こそあれ悲鳴は聞こえなかった。今日ディープの勝利を願った人たちはレイルリンクに対して同じ気持になれるのだろうか。

希望

調子に乗っていろいろ書きすぎたかもしれない。改めて自分に問いかけてみる。

「オレはこの先、競馬に情熱を持ち続けることができるのだろうか」

この7年の間オレは事実から目を背けていたんだと思う。いつからかほしいと思うものを過ぎた時間の中にしか見出せなくなってしまっていた。それらが脳裏に焼きついたまま離れない。未知なるものに対して足を踏み出せない。自己矛盾みたいなものだ。さっきまでの辛口な言葉はすべて自分に対することでもある。

再び問いかける。

「オレはこの先、生きることに情熱を持ち続けることができるのだろうか」

できる、と言い切れない。小知恵をつけたことで昔のように無邪気に何かを追い求めるのは難しくなってしまった。なのに不思議と今、オレの心は少し軽くなっている。

ロンシャンの2400mを先頭で駆け抜ける───また誰かがこの難題に挑戦するする日がくる。今日は複雑な気持ちで見ていた。次はもっと素直に楽しめる気がする。

7年が経ち、ディープのことをちょっと好きになった自分がいた。

脚注

1999年当時の馬場状態
馬場の硬さを示すペネトロメーターの値は5.1で、1997年アレッジドが連覇した際の4.8を上回るレース史上最悪の値だった。
ブリーダーズカップ
渡邊氏が凱旋門賞後唯一使う可能性のあるレースとして考えていたのがブリーダーズカップ(クラシック)だった。むしろオーナーや調教師は出走に前向きであったが、レーシングマネージャーの多田氏が難色を示した。1999年はフロリダのガルフストリームパークでの開催で、交通の便が非常に悪く輸送でのトラブルも考えられること、フロリダ開催における欧州勢の優勝が過去なかったこと(皮肉にもこの年のターフはデイラミが制し、カルチェ賞を受賞することとなったのだが)、米国でのラシックスをはじめとする薬物使用に対する懸念、フォア賞後のエルコンドルパサーが予想以上に消耗していたことなどから出走を断念した。
遠征費用
60日を越える遠征についてはJRAから補助金が出ないため、基本的にすべて自腹での遠征だった。氏がフランスで最も功績のあったホースメンに贈られるランセル・ゴールド賞を受賞したのも、こういった背景と無縁だったとはいえないだろう。
帯同馬
渡邊氏の所有馬の中からハッピーウッドマンがトレーニングパートナーとして選ばれ遠征に参加したが、もともとノド鳴りを抱えていたことやイスパーン賞後過労で消耗しきっていたため、二ノ宮師の提言によりバルテックスとクレイブルックの2頭を新たに購入したものの、サンクルー大賞の2週前追い切りの後クレイブルックの骨折が判明。最終追い切りは体調の戻りつつあったハッピーウッドマンとバルテックスとの3頭で行われた。この後さらにデニッシュフィールドを購入し、フォア賞の追い切りに参加している。凱旋門賞の最終追い切りではクレイブルックを除く計4頭による追い切りが行われた。なおキャンペーン終了後バルテックスはそのままトニー・クラウト厩舎に預託され、リステッドレースを連勝するなどした。残るパートナーは現地の競馬学校などに寄贈されている。

2006-10-01