Column

Long Distance , Run Around───エルコンドルパサー産駒菊花賞4頭出しの真意

今年の菊花賞を現地観戦しようと決め込んだのは、これが産駒最後のクラシックというのも十分な動機付けになっているのだけれども、外国産馬であるエルコンドルパサーの子供たちが、クラシックいや日本競馬の中で最もレガシーな部類に属する菊花賞に適性があることの妙を感じたからだ。

京都競馬場

ステイヤー不遇の時代

三冠の範となった英国でセントレジャー(St. Leger Stakes、芝2940m)の格がとっくに崩壊しているのは周知の通りで(*)、世界的にレース体系に占める長距離競走の割合は下がる一方である。3000m級の長距離レースに比較的価値を置くのは日本と豪州くらいだろうが、その日本も現在3000m超の平地競走は驚く無かれ6つしか存在しない。

2006年度JRA平地競走(3000m以上)
万葉ステークス京都3000mOPEN
ダイヤモンドステークス東京3400mG3
阪神大賞典阪神3000mG2
天皇賞・春京都3200mG1
菊花賞京都3000mG1
ステイヤーズステークス中山3600mG2

ただ、ここ数年で急激に減ったわけではないようだ。オレが競馬に興味を持った1993年の時点でも8つでしかなく、過去20年~1986年まで遡っても変わらなかった。

1993年度JRA平地競走(3000m以上)
万葉ステークス京都3000m1500万
ダイヤモンドステークス東京3200mG3
阪神大賞典阪神3000mG2
ブラッドストーンステークス中山3200mOPEN
天皇賞・春京都3200mG1
嵐山ステークス京都3000m1500万
菊花賞京都3000mG1
ステイヤーズステークス中山3600mG3

それでも淋しいと感じるのは、ひとえに秋の淀から嵐山ステークスが消えたせいだろう。かつてこのレースを3歳が勝つと菊の穴馬として注目されたものだ。実際ここ(当時は嵐山特別)をステップに菊を制したメジロデュレン・メジロマックイーン兄弟がいるし、直前に故障してしまったものの、レコード勝ちしたノーザンポラリスが三冠を阻む関東の刺客役として期待されたりもした。レース体系の見直しを否定はしないが、残すべきレースというものは存在する。たかが準オープン競走ひとつ、しかしファンにとって菊の穴馬探しの楽しみを奪われてしまったということをJRAはもっと真剣に反省すべきと思う。

再び、矛盾

ところで距離の下限を2600mまで広げてみると2005年度で34レースが行われているが、3000mとの差分はすべてローカルで行われていることに気づく。

1993年度JRA平地競走(3000m以上)
万葉ステークス京都3000mOPEN
平場小倉2600m500万
皿倉山特別小倉2600m1000万
平場小倉2600m500万
平場小倉2600m500万
ダイヤモンドステークス東京3400mG3
阪神大賞典阪神3000mG2
平場福島2600m500万
奥の細道特別福島2600m1000万
天皇賞春京都3200mG1
信夫山特別福島2600m1000万
横津岳特別函館2600m500万
開成山特別福島2600m500万
平場函館2600m500万
松前特別函館2600m1000万
平場函館2600m未勝利
平場福島2600m500万
平場函館2600m500万
北海ハンデ函館2600m1000万
平場函館2600m未勝利
八甲田山特別函館2600m500万
みなみ北海道ステークス函館2600mOPEN
平場札幌2600m500万
支笏湖特別札幌2600m1000万
平場札幌2600m500万
阿寒湖特別札幌2600m1000万
富良野特別札幌2600m500万
札幌日経オープン札幌2600mOPEN
積丹特別札幌2600m500万
平場札幌2600m未勝利
蔵王特別福島2600m500万
菊花賞京都3000mG1
平場福島2600m500万
ステイヤーズステークス中山3600mG2

これは何を意図してのことなのだろうか?オレが真っ先に感じたのは「バランスの悪さ」である。2600m以上~3000m未満のレースはすべてローカル開催で、28レースの中オープンは2つのみ。3000m以上のレースは中央のみで万葉ステークスを除きすべて重賞、特に秋の古馬混合戦はステイヤーズステークスしかない。以前外国産馬の不遇について少し触れたが、ステイヤーの冷遇(*)はその上をいく。しかしチャンピオンホースは2400m前後の大レースを制するのが暗黙の了解であり、三冠もまた2000m、2400m、3000mで争われる。

おかしな話とは思わないか?これほどレース体系が極端に短・中距離に偏っているのにチャンピオンは長距離の資質が求められる。長距離適性を示した馬が種牡馬入りしたところで、産駒が今のレース体系で順調な成績を残せるのだろうか?残せていないのが現状だろう。内国産血統が廃れてしまうのは、今の歪んだレース体系にも原因がある、むしろかなりの割合を占めているのではないだろうか。

2015年9月29日追記:父内国産血統不遇の時代は終焉を迎えた。リアルシャダイ以降の血統革新、中でもサンデーサイレンスの功績なのは誰もが認めるところだが、長距離でもサンデーサイレンス向きのレース展開が増えたのが実質で、ステイヤー血統が死に絶えつつあるのに変わりはないと思う。

強い馬が勝つ

菊花賞に戻ろう。過去3年、エルコンドルパサーはなんとかすべてのクラシックに産駒を送り出すことに成功した。着順はまあさておくとして、当初は血統からマイラー扱いされ、産駒も短距離とダート中心に活躍すると思われていたものだ。こんな結果を誰が予測できたろう?

エルコンドルパサー産駒のクラシック出走状況(2004~2006年)
皐月賞中山2000mヴァーミリアン
ダービー東京2400mアペリティフ、パッシングマーク
菊花賞京都3000mブラックコンドル、モエレエルコンドル、アペリティフ、ソングオブウインド、パッシングマーク、ミストラルクルーズ
桜花賞阪神1600mアドマイヤメガミ
オークス東京2400mアスピリンスノー、アドマイヤメガミ

産駒のステイヤー色が強いのは、ノーザンダンサーの血の濃さが特に母父サドラーズウェルズの重さを後押ししているため、と字面からの想像もできなくはない。でも、たぶん、そんなんじゃないんだよ。

昔から皐月賞は早い馬が、ダービーは運のいい馬が勝つと言われてきた。そして菊花賞は最も強い馬が勝つ、と。

ステイヤー不遇の時代に、ステイヤーを数多く送り込んできたエルコンドルパサーは、死してなお強さに挑戦し続けている・・・菊花賞の想定馬柱を眺めながらそんなことを思ってしまった。ああそうか、それを見届けて欲しいんだな。今回に限って呼ばれている気がしたのはそれだったのか。

「何が勝つか」ではなく「どうやったら勝つか」

本命のレースを前に脚を量るのは手の内に入れる前の馬でユタカがよく行う戦法で、神戸新聞杯のアドマイヤメインでの控える競馬はまさにそれだった。その結果メイショウサムソンやドリームパスポートとの末脚比べでは分が悪いと判断し、本番では逃げ、それも大逃げを打つところまではある程度予測がついていた。それゆえアペリティフあるいはミストラルクルーズはメイショウサムソンよりも前の4、5番手で道中を進み、サムソンよりも早めにスパートしてメインを捕まえドリームパスポートの末脚も封じ込める、それが今回唯一のエルコンドルパサー産駒の勝算と思っていた。結果の出た今でもその考えは間違っていないと思っている。間違っていたのは3頭の力がオレの想定以下だったこと、1頭の力がオレの想定をはるかに超えていたこと。

馬券は早めに4頭の単複とワイドのボックスを購入。所持金が少ないのでそれ以上どうすることもできない。

現地にて

時間を土曜の朝に。夜行バスで関西入りし、淀に着いたのは朝の8時。2号門の前の徹夜組は20組もいなかった。去年のことは知らないが、三冠の掛かった菊花賞というのに驚くほど閑散としている。もし関東で菊花賞が行われているとしたら考えられないことだ。ちょっとうらやましいと思う。もともと並ぶ気があったわけではなかったけど、なんとなく列の最後にシートを広げてしまった。寝袋なしだけど今回くらいは無茶やってもいいだろう。ただ往復の交通費を除くと所持金は5000円ちょっと。こんな状態ではとても朝から勝負をかける気にはなれない。散財しないよう特別戦までの時間、現地合流した知り合いとシートで横になっていたが、通りがかる客の視線が熱い。結局土曜のエルっ仔は東西ともに未勝利に終わった。特にイースターに2000mはちょっと長かったか。

そして日曜。3Rの新馬戦に話題のモチが出走。パドックでも「モチィー」とお子様に大人気。岩田を背にすると7枠のオレンジ帽がまるでミカンだ。馬番の8が鏡餅に見えてくる。肝心のレースは後方待機から末脚に賭け3着、「今度はモチが揚がってきました」「最後はモチがよく伸びました」という実況に苦笑する人が。オレもすっかりモチの虜にされたようで、帰宅後確認するとエルっ仔よりもモチの写真のほうが多かった。

モチ

その後徹夜の際に隣に並んでいた組をパドックで見つけた。話しかけるとキングヘイローファン、スペシャルウィークファン、グラスワンダーファン。うちひとりの今回のお目当てはソングオブウインドだという。オレは自分がエルコンドルパサーファンであることを告げた。まるで95年世代ファンの同窓会だ。彼らのおかげでメインレースのパドックを最前列で撮ることができた。この場を借りて感謝の気持ちを伝えたい。

さすがに菊に挑む選ばれし精鋭たち、パドックでチャカつく馬は皆無。メイショウサムソンの落ち着きは古馬の趣。馬体が立派なのはフサイチジャンク、アドマイヤメイン。この中に入るとミストラルクルーズとパッシングマークはちょっと見劣りがする。アペリティフは2人引きで悠然と周回し雰囲気は悪くない。逆にソングオブウインドは首を下げっぱなしで、落ち着いているというより元気が無く覇気に欠けているように見えた。しかし騎乗合図がかかり幸四郎を背にすると雰囲気がガラリと変わった。そういえばヒシアマゾンも静と動のコントラストが見事だった。

パドック

勝算と誤算

ユタカはここ数年逃げ馬で菊に騎乗したことはない。そこで最初の1000mを飛ばして途中息を入れ、2週目の下りで再点火して後続を突き放すセイウンスカイ(*)をイメージし、アドマイヤメインならそれが可能と判断してラップを刻んだのだろう。あの時のグリーンベルトとまではいかないが、2歳レコードが連発する前が止まらない馬場状態もそれを後押しした。大逃げは観客を沸かせる。スタートから果敢に逃げたメインのリードは序盤から広がる一方で、正面スタンドを通過する頃にはその差は10馬身以上。ここまではオレも折込済みだったが、勝ちパターン想定である「サムソンをマークできる位置で流れに乗った」のはアペリティフだけで絶好枠だったミストラルルーズは後ろに下げ、そもそも高速決着では用無しと思っていたパッシングマークは出負けし、この時点で終わった。さらにもう1頭、終わったと思った馬がいた。

ラップ自体は後から知ったがアドマイヤメインが中盤息を入れるのは当然であり、(64秒台までペースダウンすれば)本来なら馬群が詰まるはずの向こう正面から3角の段階で後続との差は縮まっていなかった。この後間違いなくユタカはスパートし、メインもそれに応えるだけの力がある。3角でオレは思わず叫んだ。「それじゃ捕まえられねえぞ!」今思い返せばそれはメイショウサムソンに対してだったのかもしれない。ただ、ユタカがセイウンスカイの菊花賞を再現しようとしていることに気づいていたのは他でもないノリであり、ユタカはスペシャルウィークでセイウンスカイに届かなかったが、セイウンスカイを駆ったノリだからこそどこで仕掛ければメインを捕えることが可能なのかを見切ることができたのではないかと思う。

メインもパスポートも従来のレコードを更新して力は出し切ってた。本命のメイショウサムソンを完封したことからも2人の思惑は正しかった。結果的に誤算だったのは大逃げに惑わされないほど幸四郎の度胸が据わっていたこと、ソングオブウインドがドリームパスポート以上に切れる脚を長く使えたこと。今開催は内外の馬場差がなく、土日通じて外差しが決まるような場面はなかった。だからドリームパスポートのさらに外から別の馬が伸びてくるとは、誰一人予想できなかったのではないだろうか?オレだってそうだし、幸四郎自身スタート前は先行するイメージを持っていたようだ。ゲートを出て2完歩で「リラックスしている」ことを知った幸四郎は、無理に前に付き合わず馬のリズムを崩さないことだけに専念した結果「たまたま」位置取りが最後方になった。このことは恐らく後々のレースで重要になってくるだろう。ソングオブウインドは追い込み馬ではない。折り合いと引きかえに突風を起す。

風の歌を聴け

直線アドマイヤメインのリードはまだ十分ある、しかし外から何か伸びてくる。1頭がドリームパスポートであるのはすぐにわかったが、さらにもう1頭─────

長いこと競馬を見ていると、直線の途中でも「これは届く」「交わせる」と瞬間的にわかるときがある。そんな脚色の馬がゼッケン18番と気づいてから以降、もう何を叫んでいるのかどう写真を撮ったか自分ではまったく覚えていない。

ソングオブウインド

ゴール後少し頭が動くようになってきた。着順掲示板に目を移す。レコードの4文字を見てまた何かがブッとんだ。オレはスタンド2Fのゴールから50mほど手前で観戦していたのだけど、気がついたら最前列で観戦していた知り合い2人が戻ってきていた。二人とも目に涙が光っていた。オレも泣いていた。きっとTVの前でも多くのエルコンドルパサーファンが泣いているんだろう。よかった。本当によかった。

レース回顧

ソングオブウインドの勝因は3角で加速した時に下り坂を利用し、遠心力に逆らわず外に持ち出したことだろう。膨らまないようにコーナーを回った他の馬を一気に交わし、直線に入った段階で5、6番手でスピードの乗った状態にいた。もし「上手にコーナーを回ろう」としていたら3着もなかったと思う。この時点でほぼサムソンを捕えていたが、ラスト2ハロンのあたりで手前を変えてからさらに加速している。正面カメラで確認すると直線でやや内にささるように見えたがこれはドリームパスポートに馬体を併せるためで、そこからあとはゴールまで真っ直ぐに伸びており、足腰の強さは申し分なさそうだ。歴代の菊花賞馬たちに劣らない強さかなのか、今回は単に展開がハマっただけかどうか、それはこれからのソングのレースを見て考えればいい。それよりもともに今年がラストクロップの配合で菊を勝ったことの意味は大きい。何よりエルコンドルパサーファンにとって胸をなでおろす結果であるし、ソングオブウインドの勝利は多くのエル×SS配合に希望を与えてくれるだろう。

レース内容もよかった。大逃げに観客は沸いた。上位人気の3頭が順当に4着までにきているし、レコードのオマケもある。4着に敗れはしたものの、春から一貫して同じ戦法を取り続けたメイショウサムソンは、すでに王者として完成しつつあるようにも感じられた。もしアドマイヤメインがセイウンスカイではなくスティールキャスト(*)だったら、三冠の夢は適ったのかもしれない。そして、今回の菊花賞がエルコンドルパサー産駒最後のクラシックであることを多くのファンは知っていた。帰宅後競馬板を見て、スペシャルウィーク、グラスワンダー、キングヘイロー、そのほか95年世代に思い入れのあるファンが口々に祝福する様子はマサトがダービーを勝ったとき、トウカイテイオーが有馬記念を勝ったときに近い幸福感があった。よかった、本当によかった。

やっと思い残すことがなくなった。これでもういつ死んでも大丈夫。帰りのバスの中でそんなことを考えていた。もちろん死にたいわけじゃない。

・・・黙ってるつもりだったけれどもレース後のコメントを読みどうしても引っ掛かってしまったので正直に書いておくが、今回の菊花賞、もしオレがメイショウサムソンの熱狂的なファンであったら非常に不愉快な気分で淀を後にしたと思う。敗因は向こう正面でメインを捕まえにいかなかった騎乗ミスなのは明白だ。それをわからず「ただ、ウーン、って感じです」「3冠って、難しいですね…。今までに取った馬はすごいです。」という有様では、たとえディープインパクトやナリタブライアンに乗ろうが石橋が三冠を獲るなど無理だろう。サムソンに漂いつつある風格に恥じない騎乗をしてほしいものだが。

ステイヤーは死なず

淀に来ると必ずライスシャワーの慰霊碑に祈りを捧げている。今年は貧乏遠征ゆえ食事代を節約するためおにぎりを作っていったのだけど、そのうちひとつをお供えすることにした。エルっ仔が力を出せるようお守りください。レース後再び慰霊碑を訪れ、お礼と来年の春、また来ることを告げて淀を後にした。

この先もステイヤーの生きる道は確かにある、そんな気がした。

ライスシャワー

[2007-01-14]追記

香港遠征後判明した右前脚浅屈腱炎の症状が思いのほか悪く、引退することが決定。菊花賞制覇からわずか3ヶ月、一陣の風のように吹き抜けたソングオブウインド。

患部の精密検査の結果、炎症が腱の40%に達していることが判明。やもすると随分前から症状は進んでいたのかもしれない。そのことで関係者を責めようとは思わない。ただ、馬自身あれが父にとって最後のクラシックと知っていたのか、そんな思いを抱かずにはいられない。ありがとう。

データ

菊花賞結果

全着順
馬名性齢騎手斤量タイム着差コーナー順3f体重
818ソングオブウインド牡3武幸四郎573.02.7R16-16-16-833.5 8480
713ドリームパスポート牡3横山典弘573.02.7クビ6-6-6-734.0 2466
35アドマイヤメイン牡3武豊573.03.013/41-1-1-135.9 3498
612メイショウサムソン牡3石橋守573.03.421/24-4-4-234.9 1518
715アクシオン牡3田中勝春573.03.51/212-14-13-1334.410520
59インテレット牡3藤岡佑介573.03.5ハナ17-16-17-1734.015474
47マルカシェンク牡3福永祐一573.03.813/49-9-10-1234.9 4506
11トーホウアラン牡3藤田伸二573.03.8ハナ4-5-5-535.2 6480
24タガノマーシャル牡3和田竜二573.03.93/412-11-14-1334.714526
1036ネヴァブション牡3石橋脩573.03.915-15-14-1634.612470
1112ミストラルクルーズ牡3池添謙一573.04.01/212-11-10-1334.911486
12714アペリティフ牡3安藤勝己573.04.421/27-7-6-535.8 7498
1348マンノレーシング牡3小牧太573.04.62-2-2-236.217464
14816トウショウシロッコ牡3吉田豊573.04.811/411-11-10-835.913464
15510フサイチジャンク牡3岩田康誠573.05.011/27-7-9-836.2 5484
16611トーセンシャナオー牡3イネス573.05.1クビ2-2-2-236.7 9452
17817パッシングマーク牡3四位洋文573.05.1ハナ18-18-17-1835.418478
1823シルククルセイダー牡3秋山真一573.05.413/49-9-6-836.616510
通過ラップ
12.8-11.5-11.1-11.6-11.7-11.7-12.9-12.8-12.9-13.2-13.0-11.9-11.2-12.5-11.9
1000mタイム
58.7-63.5-60.5

出走18頭のうち10頭までが3分4秒を切り殿のシルククルセイダーですら3分5秒4で走破していることからも、今回のレコードが馬場に助けられてのものであるのは疑いようが無い。このような高速馬場への適応力に疑問のあったパッシングマークのブービーも納得のいくところである。アペリティフやミストラルクルーズは純粋に上位との力不足だろう。

ギリギリ掲示板に載ったアクシオンは「菊花賞は出るだけで名誉ですよ」という生産者の言葉どおり、戦前の評判からすれば大健闘といえる。父はもとより、母グレイテストヒッツもすでにこの世に無いが、母の父ディキシーランドバンドは一昨年の勝ち馬デルタブルースのBMSでもあり、大掛けの要素はあったということか。

5代血統表

ソングオブウインド Song of Wind 牡 3歳 父8歳 母5歳時産駒 2003年 青鹿毛 追分町
*エルコンドルパサー

 1995年 黒鹿 (米)
kingmambo

 1990年 (米)
mr. prospector

 1970年 (米)
raise a native
 1961年
native dancer
raise you
gold digger
 1962年
nashua
sequence
miesque

 1984年
nureyev
 1977年
northern dancer
special
pasadoble
 1979年
prove out
santa quilla
saddlers gal

 1989年
sadler's wells

 1981年 (米)
northern dancer
 1961年
nearctic
natalma
fairy bridge
 1975年
bold reason
special
glenveagh

 1986年
seattle slew
 1974年
bold reasoning
my charmer
lisadell
 1971年
forli
thong
メモリアルサマー

 1998年 青毛
(追分町)
*サンデーサイレンス

 1986年 青鹿 (米)
halo

 1969年 (米)
hail to reason
 1958年
turn-to
nothirdchance
cosmah
 1953年
cosmic bomb
almahmoud
wishing well

 1975年
understanding
 1963年
promised land
pretty ways
mountain flower
 1964年
montparnasse
edelweiss
サマーワイン

 1990年 黒鹿 (早来町)
*トニービン

 1983年 鹿毛 (愛)
kampala
 1976年
kalamoun
state pension
severn bridge
 1965年
hornbeam
priddy fair
シヤダイマイン

 1973年 黒鹿 (白老町)
*ヒツテイングアウエー
 1958年 鹿毛
ambiorix
striking
*フアンシミン
 1967年 芦毛
determine
fanciful miss

エルコンドルパサー自身「完成された血統」という趣があったが、そこからさらに踏み込んだのがソングオブウインドという印象を受ける。ミスタープロスペクター、ノーザンダンサー、サンデーサイレンス、トニービンらが近いところに存在するので相手の選択肢はそれほど広くないが、母方にノーザンダンサーが入っていないのは幸いか。どの主流血脈を活かすか配合手腕が問われそうだ。社台の結晶のような牝系だけに、生産者のバックアップも期待できよう。メモリアルサマーの姉にあたるマストビーラヴドは先日早逝したラインクラフトの母である。3代母シャダイマインからはサマーワインの他、中山大障害を連覇した名ジャンパー、ブロードマインドの母ダイナマインや、アドマイヤマックスやホーネットピアスの母ダイナシュートなど、近親には活躍馬が多い。またヒツテイングアウエーはノースフライトの母の父。

余談。ソングオブウインドの菊花賞からはサドラーズウェルズの重厚さとサンデーサイレンスの緩急自在性、そしてトニービンの持続力といったものを見ることができ、ひょっとしたら伴性遺伝の成功例なのだろうかと思う。また魔術師フェデリコ・テシオ(*)がそうであったように、体質的に異常が認められなければ近親交配そのものが種牡馬として問題にはならないということを、ソングオブウインドは証明してくれたようにも思う。

参考:過去30年の菊花賞勝ち馬

菊花賞馬 1996-2005
年度勝ち馬母の父
2005ディープインパクトサンデーサイレンスアルザオ(父リファール)
2004デルタブルースダンスインザダークディキシーランドバンド(父ノーザンダンサー)
2003ザッツザプレンティダンスインザダークミスワキ
2002ヒシミラクルサッカーボーイシェイディハイツ
2001マンハッタンカフェサンデーサイレンスローソサイエティ(父アレッジド)
2000エアシャカールサンデーサイレンスウェルデコレイティド(父ラジャババ)
1999ナリタトップロードサッカーボーイアファームド
1998セイウンスカイシェリフズスターミルジョージ
1997マチカネフクキタルクリスタルグリッターズトウショウボーイ
1996ダンスインザダークサンデーサイレンスニジンスキー

近年の菊花賞はサンデーサイレンス時代らしく中距離向きのスピードや瞬発力が求められるようになっているが、それでもマチカネフクキタルを除けば3000mをこなすにふさわしい一定以上の重厚さをおおむね感じ、ステイヤーが順当に制していると言えよう。長距離は血で買え、というのもまんざらではない。

菊花賞馬 1986-1995
年度勝ち馬母の父
1995マヤノトップガンブライアンズタイムブラッシンググルーム
1994ナリタブライアンブライアンズタイムノーザンダンサー
1993ビワハヤヒデシャルードノーザンダンサー
1992ライスシャワーリアルシャダイマルゼンスキー
1991レオダーバンマルゼンスキーダンサーズイメージ
1990メジロマックイーンメジロティターンリマンド
1989バンブービギンバンブーアトラスノーザンテースト
1988スーパークリークノーアテンションインターメゾ
1987サクラスターオーサクラショウリインターメゾ
1986メジロデュレンフィディオンリマンド

ビワハヤヒデの父シャルードがやや中距離よりなのを除くと明らかにステイヤーとわかる配合。またノーザンダンサーが目立つのも時代を感じさせる。

菊花賞馬 1976-1985
年度勝ち馬母の父
1985ミホシンザンシンザンムーティエ
1984シンボリルドルフパーソロンスピードシンボリ
1983ミスターシービートウショウボーイトピオ
1982ホリスキーマルゼンスキーオンリーフォアライフ(父シャトー)
1981ミナガワマンナシンザンヴィミー
1980ノースガストアラナスミステリー
1979ハシハーミットテューダーペリオッドシンザン
1978インターグシケンテスコボーイウイルデイール
1977プレストウコウグスタフシーフュリュー
1976グリーングラスインターメゾニンバス

20年以上遡ると「重い」という言葉がよく似合う配合ばかりだけにミスターシービーがひときわ目を引く。

1980年のノースガストの配合は代用品の組み合わせで生まれた傑作ミホノブルボン(*)や牝系クロスの奇跡的成功結果であるエルコンドルパサー(*)に通ずるものを感じる。なお1977年の勝ち馬プレストウコウは、渡辺喜八郎氏の所有馬である。今日の勝利は喜八郎氏、そして隆氏の目にどのように映ったのだろう。また1976年のグリーングラスは蛯名が騎手を目指すキッカケとなった馬である。こうしてみると菊花賞とエルコンドルパサーはまったくの無縁というわけでもなかったらしい。

走破時計の推移

菊花賞レコードの推移
年度タイム馬名
1938年3:16.0テツモン(第一回)
1948年3:13.3ニユーフオード
1950年3:09.1ハイレコード
1959年3:07.7ハククラマ
1977年3:07.6プレストウコウ
1978年3:06.2インターグシケン
1980年3:06.1ノースガスト
1982年3:05.4ホリスキー
1992年3:05.0ライスシャワー
1993年3:04.7ビワハヤヒデ
1994年3:04.6ナリタブライアン
1995年3:04.4マヤノトップガン
1998年3:03.2セイウンスカイ
2006年3:02.7ソングオブウインド

ハククラマが18年、ホリスキーが10年、セイウンスカイが8年。ソングオブウインドのレコードは何年続くだろう。ちなみに1992年から95年まで面白いように毎年レコードが更新されたのは、馬の力もさることながら(勝ち馬はすべてG1を3勝以上している)京都競馬場の地盤改善の効果が大きいのだろう。

重賞競走レーティング

2006年 R.R.111.75 3.02.7
着順馬名レート
1ソングオブウインド114
2ドリームパスポート113
3アドマイヤメイン111[112]
4メイショウサムソン109
5アクシオン108
2005年 RR112.00 3.04.6
着順馬名レート
1ディープインパクト118[115]
2アドマイヤジャパン113[112]
3ローゼンクロイツ109
4シックスセンス108
5フサイチアウステル106
2004年 RR110.75 3.05.7
着順馬名レート
1デルタブルース112
2ホオキパウェーブ111
3オペラシチー110
4コスモバルク110
5ストラタジェム109
2003年 RR112.75 3.04.8
着順馬名レート
1ザッツザプレンティ114[112]
2リンカーン113[111]
3ネオユニヴァース113[110]
4ゼンノロブロイ111[108]
5マッキーマックス110[107]
2002年 RR110.25 3.05.9
着順馬名レート
1ヒシミラクル112
2ファストタテヤマ111
3メガスターダム110
4アドマイヤドン108
5バランスオブゲーム108
2001年 RR110.50 3.07.2
着順馬名レート
1マンハッタンカフェ112[113]
2マイネルデスポット111
3エアエミネム110
4ジャングルポケット109
5ダンツフレーム108

今年の走破時計は馬場に起因するところが大きいためそれを差し引くとまずまず妥当なところかと思う。去年のトップを無視すれば全体的な比較でもそれなりに納得できるが、菊花賞勝ち馬の標準的なレートを112とした場合の俺の主観による修正値を[カッコ内]に記す。

脚注

セントレジャーと菊花賞
イギリスにおける3歳限定競走、ニューマーケット競馬場の2000Guineas Stakes(2000ギニー)、エプソム競馬場のThe Derby Stakes(エプソムダービー)、ドンカスター競馬場のSt. Leger Stakes(セントレジャー)の3つのレースを総称して三冠(Triple Crown)と呼び、これが日本の三冠のモデルとなった。それぞれ距離は1マイル(1609m)、1マイル4ハロン(約2400m)、1マイル6ハロン132ヤード(約2940m)で行われる。エプソムダービーはザ・ダービーとも呼ばれ世界のレースの中でも最も格式の高いもののひとつであり、2000ギニーも近年の競馬のスピード化により勝ち馬は例年種牡馬として注目を集めている。セントレジャーの歴史は三冠の中でも最も古く、第一回は1776年に行われた(2000ギニーは1809年、ダービーは1780年)。しかし1920年フランスに凱旋門賞が創設され、第二次大戦後欧州のチャンピオン決定戦として定着するようになると、3歳の有力馬がこちらを目標とするようになり、相対的にセントレジャーのレベルが低下してきた。そして1970年、最後の三冠馬であるニジンスキーが凱旋門賞でササフラにアタマ差負け、その敗因が長距離を走った後の疲労によるものとされたため、これが決定的となってイギリスの三冠は事実上崩壊した。ただし牝馬においてはこの限りではなく、セントレジャーは牝馬三冠の最後のレースでもあるため現在も1000 Guineas Stakes(1000ギニー)、The Oaks Stakes(オークス)を勝利した馬がセントレジャーに出走することがある。日本では現在秋華賞が三冠最終戦となっているが、エリザベス女王杯すら存在しなかった1964年、奇しくも二頭の二冠馬が菊花賞に出走している。皐月賞、ダービーを制したシンザンと、桜花賞、オークスを制したカネケヤキである。結果はシンザンが三冠馬となったが、カネケヤキも大逃げを打ってファンを沸かせた。
ステイヤーの冷遇
競馬のスピード化は世界的な傾向で、欧州でも20世紀末からチャンピオンクラスの馬が凱旋門賞やキングジョージといった2400m級の大レースよりも2000mのレース・・・英・愛チャンピオンステークスやインターナショナルステークス、アジアでは香港カップなど・・・に集まる傾向が見られる。結局のところ中距離以下のレースの占める割合が増えれば種牡馬として求められるものもスタミナよりもスピードとなり、2000m前後のレースでの適応力を見せることが重要と考える関係者が増えるのも無理は無い。そんな種牡馬が増えればますます長距離レースへの出走馬は減り、短距離化のスパイラルに陥ることとなるのだが。
セイウンスカイ
エルコンドルパサーと同期の1998年の菊花賞馬。前走の京都大賞典で見せた前半ハイペースででリードを広げ中盤ではペースダウンしてスタミナを温存し、ラスト1000mで再び加速するという絶妙な逃げでスペシャルウィークの末脚を完封してみせた。また仮柵が外された「グリーンベルト」と呼ばれる馬場のよい内ラチ沿いを走れたこともあって、走破時計3分3秒2は当時の3000m世界レコードだった。
スティールキャスト
1994年、ナリタブライアンの三冠がかかった菊花賞で大逃げを打つ。実力的には準オープン馬でしかなかったため早めに捕まってしまったが、母プリティキャストは3200mで行われた最後の秋の天皇賞で大逃げを打ち、まんまと逃げ切って見せた。
フェデリコ・テシオ
19世紀から20世紀半ばにかけて幾多の名馬を世に送り出したイタリアのオーナーブリーダー(馬主兼生産者)。マルセル・ブサックと共に近代欧州の偉大な生産者として必ず名前が挙げられる。1911年から1953年までの間にイタリアダービーの優勝が20回、これを年間生産頭数がわずか10頭前後の生産者が達成したことは偉業というよりも異常といったほうがふさわしい。記録だけでなくネアルコやリボーのように競走成績に加え種牡馬としても超一流の世界的名馬を送り出し、いつしか畏敬を込めて「ドロメロの魔術師」と称されるに至った。テシオの生産理論について触れるにはオレの認識は乏しすぎるためほんの一部だけ紹介するに留めるが、彼は生産にあたって極端な近交となる配合は行わなかったが種牡馬が近交であることを避けることはなかった。恐らくは近交が問題となるのは生産時のみという判断なのだろう。
ノースガストとミホノブルボン
ミホノブルボンの生産者である原口圭二氏は、締りの無い体つきだった母カツミエコーの相手に筋肉質な種牡馬を探していた。当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったミルジョージがまさにイメージにピッタリだったものの種付け料があまりに高価だったため、同じミルリーフを父に持つマグニチュードを選んだ(当時のマグニチュードの種付け料は30万円で、ミルジョージはその10倍以上だった)。ちなみにカツミエコーの父シャレーもまた名種牡馬ダンディールートの成功で輸入されたLuthier産駒で、ミホノブルボンはこうした代用品の組み合わせから偶然生まれた原石だったと言えよう。そのダイヤの原石を丹念に磨き上げたのは名伯楽・戸山為夫師である。
ノースガストとエルコンドルパサー
エルコンドルパサーは戦績も然ることながらその血統構成で多くのマニアをうならせたが、ノースガストの配合も父アラナスの母Arbenciaと母の父ミステリーとの間でDjebelとPharisの擬似クロスが発生する。