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はじめに

このページは今(初稿:1999年)から数十年後に振りかえったときに、エルコンドルパサーがどれだけすごい馬だったかを思い出すために作ってみました。主観も多いのでご了承下さい。

年表

1993年

12月
渡邊隆オーナーの父、喜八郎氏がエーピーインディの株を入手、これにふさわしい肌馬を探し始め、英国タタソール社主催のディセンバー・セールのカタログに引退直後のサドラーズギャル(当時5歳)が登録されているのを知り、エージェントに依頼。購入後アメリカのレーズエンド・ファームにて繋養される。
なお、ディセンバー・セールからはジャングルポケットの母ダンスチャーマや、かのパシフィカスなども輩出されている。

1994年

未明
サドラーズギャルの初仔(父A.P.indy)誕生。

1995年

3月17日
アメリカ・レーズエンド牧場で誕生。
4月
二ノ宮調教師がアメリカではじめて対面。

1996年

10月
本邦輸入、門別・ファンタストクラブに入厩。

1997年

坂路調教をはじめたころ、他馬がしまい一杯になるのに対し、余力十分の動きを見せる。ようやく、この馬は実は凄いんじゃないか?と周囲が気づきはじめる。
8月8日
美浦トレーニングセンター・二ノ宮厩舎に入厩。
・・・この頃、他馬の調教中の的場騎手がエルコンドルの動きの良さを見て自ら騎乗を申し込む(このオファーがなかったら、柴田義騎手に依頼する予定だったらしい)。
11月8日
4回東京で新馬デビュー。7馬身差の圧勝。

1998年

1月11日
1回中山、4歳500万下出走。9馬身差の圧勝。
2月15日
降雪でダート変更となった共同通信杯に出走、2馬身半差で重賞初勝利。
4月26日
ニュージーランドトロフィー4歳ステークス出走、重賞連勝。
5月17日
春の最大目標、NHKマイルカップに出走。無敗のままG1勝利。二ノ宮調教師、渡邊オーナーともG1は初制覇。
5月29日(うろ覚えです)
門別・ファンタストクラブに放牧。
8月上旬
函館競馬場へ移動。
8月28日
美浦トレーニングセンターに帰厩。
10月11日
毎日王冠に出走、初の2着に敗れる。勝ったのはサイレンススズカ。有料入場者数133,461人はG2として史上最高動因(同年天皇賞・秋が141,862人、ジャパンカップが146,879人)。
11月29日
ジャパンカップに出走、古馬や海外の強豪相手に圧勝。日本の4歳馬として初優勝、また着差の2馬身半もジャパンカップ史上最大。またキャリア7戦も最短記録(現在も保持)。
12月17日
千葉・木村牧場に放牧。

1999年

1月11日
98年度のJRA賞で、ダービー馬や二冠馬を抑え最優秀4歳馬に選出される。年度代表馬はタイキシャトル。
1月12日
国際クラシフィケーションにおいて過去の日本馬最高の126ポンドの評価を受ける。これは4歳総合で6位、芝長距離で2位(1位は英ダービー馬ハイライズ)。
1月25日
陣営が1999年の欧州遠征プランを発表。
2月14日
美浦トレーニングセンターに帰厩。
3月15日
母サドラーズギャル、本邦輸入(日本軽種馬登録協会に繁殖登録)。シーキングザゴールド受胎。
4月6日
サドラーズギャル97(父ガルチ)、本邦輸入(日本軽種馬登録協会に競走馬登録)。門別・ファンタストクラブに。
4月8日
出国検疫厩舎入り。
4月14日
フランスに向け成田を出発。
4月15日
無事フランス到着、シャンティーのトニークラウト厩舎に入厩。翌日より運動開始。
5月23日
海外緒戦となるフランス・ロンシャン競馬場のイスバーン賞に出走、惜しくも2着に敗れる。勝ったのはジャルネ騎乗のクロコルージュ。
7月4日
上半期の目標、フランス・サンクルー競馬場のサンクルー大賞に出走、2馬身半の圧勝。日本馬が欧州のチャンピオンディスタンスで勝利するのは初のこと。
9月12日
凱旋門賞のステップとしてフランス・ロンシャン競馬場のフォア賞に出走、海外重賞を連勝する。
10月3日
最大目標であるフランス・ロンシャン競馬場の凱旋門賞に2番人気で出走、かつてないほどの不良馬場を逃げ粘るもモンジュの1/2馬身差の2着に敗れる。なお3着クロコルージュとは6馬身、4着レゲーラとは5馬身の差があった。
10月11日
約6ヶ月ぶりに日本に帰国。成田空港には「凱旋門賞2着馬 世界のステイヤー エルコンドルパサー」の幕が掲げられた。
11月28日
ジャパンカップで引退式を行う。その足で北海道に移動、ノーザンファームで種牡馬入り。シンジケート総額は3千万円×60口の18億円。 なお、根来厩務員も同日をもって引退、函館に向かう。

2000年

1月5日
東京記者クラブ賞に渡邊オーナーが選出、表彰される。
1月11日
JRA賞年度代表馬に選出される(同時に最優秀5歳以上牡馬にも選出される)。24日、赤坂プリンスホテルにて表彰式が行われた。
1月17日
国際クラシフィケーションにおいて、前年に自身の受けた評価を大きく更新する134ポンドのハンディを与えられる。総合で世界3位、芝2400mにおいて古馬最高の評価。
3月4日
メモリーズオブユー、デビュー戦を勝利で飾る。
3月11日
1999年度の最優秀ケンタッキー州産馬に選出される。授賞式は4月26日(多田マネージャも同席)。
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2000年度総種付数:137頭

2001年

5月?日
母サドラーズギャル、内臓疾患で息を引き取る。
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2001年度総種付数:158頭

2002年

7月13日
当時札幌に滞在していた二ノ宮厩舎の佐々木助手。現役時代最も長い時間を一緒に過ごした彼は、普段は「いつでも会えるから」となかなか社台まで足を運ばなかったが、このときだけは顔を見ようとエルの元を訪れたという。
その後容態が悪化。深夜に軽い腹痛を発症、翌朝も痛がる様子が見られたため、苫小牧市にある社台ホースクリニックで診察し開腹手術を受け、重度の腸捻転であることが判明。
7月16日
16日になっても術後の回復が思わしくないため繋養先の社台スタリオンステーションに戻ったが、午後9時10分に永眠。享年7歳。生涯の種付け頭数は449頭。
8月10日
オーナーのご好意により、ファンと共にエルコンドルを見送るお別れ会が執り行われる。全国から駆けつけたファンは350人。
渡邊オーナーの言葉「エルコンドルはあっという間に飛んで行ってしまいました。日本で7戦、欧州で4戦だけしか走っていませんが、超一流馬というものはそれにふさわしい使い方があるというのが私の馬主としての身上でした。種牡馬としてもわずか3年間の供用でしたが、太く短くが彼の身上だったのかもしれません。遺骨の一部は持ち帰って、私が死んだ時に一緒にお棺に入れてもらいます」
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2002年度総種付数:154頭

2003年

6月21日
サクスセスアルデンテ号が阪神6Rの新馬戦に産駒として初出走、5着となる。
7月26日
カーニバルソング号が小倉6Rの新馬戦に出走、産駒初勝利を飾る。
8月16日
カーニバルソング号が新潟9Rのダリア賞に出走、産駒初のオープン出走で3着と健闘。
11月9日
サクセスアルデンテ号が門別11Rのエーデルワイス賞に出走、産駒初の重賞出走で5着となる。
10月25日
コンドルクエスト号が福島6Rのきんもくせい特別に出走、産駒初の2勝目を挙げオープン入り。
12月20日
ブラックコンドル号が中京10Rの中京2歳ステークス戦に出走、産駒初のオープン勝ちを飾る。
2003年度種牡馬成績
勝利数14勝、勝利頭数10頭。総合リーディング86位、2歳リーディング9位。

2004年

2月8日
JRA50周年のイベントの一環として、エルコンドルパサーメモリアル競走が行われる。勝ったのは横山典弘騎乗のオークルーム
3月21日
チアズアビリティー号がこの世代最後の新馬戦に勝利。2004年獲得賞金1億円突破。
5月9日
トラッドスキーム号がNHKマイルカップに出走、産駒初のG1出走となるも17着となる。
6月20日
バンブージーコ号が2歳新馬に出走、2002年世代のデビューを飾る(10着)。
9月5日
アイルラヴァゲイン号が新潟2歳ステークスに出走、5着となる。2002年度世代初の重賞出走。
10月24日
ブラックコンドル号及びモエレエルコンドル号が菊花賞に出走。
10月31日
コンドルクエスト号がタマモクロスメモリアルに優勝、JRA初の3勝馬となる。
12月25日
ヴァーミリアン号がラジオたんぱ杯2歳ステークスに優勝、産駒初の重賞勝利となる。25度目の挑戦でのこと。なおこの勝利は産駒通算100勝目(JRA+NAR)のメモリアルでもあった。
12月31日
園田9Rにてプレミアシスターズ号が優勝、自身はこれでデビューから無傷の6連勝。
2004年度種牡馬成績
総合リーディング20位(52勝)、2歳リーディング6位(15勝)。

2005年

以下、執筆中。