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表彰・受賞

エルコンドルパサーの達成した記録、エピソード

無敗のG1制覇

NHKマイルカップまで無敗の5連勝。他に近年の無敗のGI制覇ではトウカイテイオー(ダービーまで6連勝)、ミホノブルボン(ダービーまで6連勝)、ファインモーション(エリザベス女王杯まで6連勝)、ディープインパクト(菊花賞まで7連勝)などがいる。

生涯連対率100%*

重賞勝ち馬で生涯パーフェクト連対だった馬は、グレード制導入後ではフジキセキミホノブルボンなどがいるが11連対は最多。導入前ではシンザンの19連続連対(15勝2着4回)がある。もちろん海外成績も含めてなのだから凄い。

国際G1最多勝(2勝)

GI3勝以上の馬はグレード制導入以後多数いるが、国際格付けのGIを2勝(ジャパンカップ、サンクルー大賞)した馬は初。また芝の海外重賞を2勝(サンクルー大賞GI、フォア賞GII、)も初だが、過去に障害レースでは大障害を三連覇しグランドナショナルにも挑戦したた名ジャンパー、フジノオーがいる(フジノオーもフランスで2勝)。なお、エルコンドル以降ではアグネスワールドエイシンプレストンステイゴールドがそれぞれ海外で2勝を挙げているが、海外4連戦4連対はもちろん他に例なし。

クラシフィケーションでの評価

98年、4歳時に日本馬として最高評価の126ポンド、これは全3歳で世界6番目、3歳芝部門で世界2位の評価。さらに4歳時は総合3位、古馬長距離で世界最高の134ポンドの評価を受ける。他の日本馬ではスペシャルウィークグラスワンダーが123ポンドであるから、いかに抜きん出た値かがわかるだろう。

ちなみに4歳時の評価の内訳は芝部門のMが117、Lが126。ダート部門でもMの108で、ウイングアローの111(I)に次ぐ評価。1998年はタイキシャトルと並びサイレンススズカの122が古馬のトップだが、対象レースがG2(毎日王冠)であることを考えると異例の数値で(タイキシャトルはマイルCS)、エルコンドルパサーを圧倒したことが高評価となっているのは明らかである。

同期のライバルであったスペシャルウィークとグラスワンダーはそれぞれ1998年が121と120、1999年はともに123。実際に11ポンドの斤量差でも勝てるはずもなかろうが、クラシフィケーションでは出走レースの格や後続との着差がモノをいうためこのような開きとなっているのだろう。

2006-12-05追記:

21世紀以降、世界的にレーティングが低めに抑えらる傾向があるため、134を超える日本調教馬はもはや現れないのではないだろうか?

欧州での評価

日本以上に評価の高かったのが欧州。レーシングポスト誌の20世紀名馬100選において86位に選出されたが、これは日本調教馬、そしてアジアで唯一のランクイン。しかしサンクルー大賞時にシーバード級との賛辞を受けたがそのシーバードは堂々1位、死闘の共演者モンジューは40位だったことを考えると、あの半馬身が逆だったとしたら果たしてどうなっていたのだろうか・・・

なおイギリスTimeform紙のレーティングをもとにしたランキング「20世紀世界の平地競走馬トップ200(A Century Of Champions)」でも86位(136ポンド)とランクされている。

20世紀100名馬

ファン投票によるJRAの20世紀100名馬において13667票を獲得し10位にランクされる。同期のスペシャルウィークナリタブライアンに次ぐ2位(31061票)であるから意外に低評価?であるが、国内競走を早々と切り上げたため、ファンへの直接アピールが低かったことが理由だろう。

ただ、投票締め切りの後にテイエムオペラオーが年間グランドスラムを達成など、この手のランキングは投票条件やタイミングが難しい。

凱旋門賞を終え

現地のプレスは凱旋門賞後「今年の凱旋門賞には2頭のチャンピオンが出走した」「エルコンドルパサーが参戦してくれたおかげで今年の欧州は大いに盛り上がった」と最大級の賛辞。凱旋門賞でペースメーカーを務めるはずだったジンギスカンに乗っていたムルタ騎手は「あの凱旋門賞では、どんなに頑張ってもエルコンドルの前でレースをすることのできる馬はいない」と答えたらしい。

クラシックディスタンスで活躍

血統から当初マイラーと言われていたエルコンドルパサーだが、実は2400m戦でも4戦3勝とめっぽう強かった。遠征では短距離での活躍が目立つ中、欧州の聖域でもある2400m戦を2勝2着1回というのは現地にとっても脅威であったことだろう。

距離の融通性

1400mの短距離戦から2400mのチャンピオンディスタンスまで幅広い距離適性を示した。他には同期のグラスワンダーや、名馬オグリキャップなども同様の距離対応の幅広さを持つ。

ダート・重馬場適性

デビューから3戦はダートで、すべてワンサイド勝ちと高いダート適性を示していた。ダートの府中で重馬場とはいえ上がり35秒台というのは驚異的である。ジャパンカップを勝った後ドバイワールドカップへの招待のオファーもオーナーのもとにあったという。さらに余談だが、海外遠征後東京大賞典へのオファーまであったとか。

速さより強さ?

意外なことにこれだけの強さだったにもかかわらず、エルコンドルパサーは生涯一度もレコード勝ちをしていない。もっとも、サイレンススズカに引っ張られたとはいえ毎日王冠の1分45秒3という時計は並みの4歳馬に出せる時計ではないが・・・

関西人には馴染みが薄い?

国内では7戦して府中6回、中山1回と関東でしか出走しなかった。これは管理する二ノ宮厩舎があまり遠征競馬を行わないためと、4歳の外国産関東馬にとっては関西でターゲットとなるレースがマイルチャンピオンシップくらいしかないことが原因だろう。

輸送嫌い?

海外遠征も二ノ宮厩舎らしさが発揮され?結局フランス以外の国での出走はなかった。

無事是名馬

3歳の入厩から引退まで、一度も故障をしたことがなかった。ソエにすらならなかったという(サンクルー大賞後、ドリームウェルに蹴られて負傷したことはあった)。ただ、フォア賞出走時は歩様に乱れがあり、体調は最悪だったというが、一度叩いた効果か凱旋門賞の時には素晴らしい仕上がりだったようである。

自在馬?

デビューから数戦はゲートの反応が悪く、出遅れたり後方からレースを進めていたが、マイルカップ以降まるで別の馬のように変身。ジャパンカップでは3番手から抜出して圧勝、フォア賞はともかく凱旋門賞でも見事な逃げっぷり。先行→差し・追い込みの例はあるが逆は珍しい。かなり自在性に富んだ脚質である。

余談ではあるが、二ノ宮調教師はゲート練習の際、ゲート反応よりも中立を重視することをビデオで語っている。

最高観客動員数?

海外のビッグレースや日本馬の遠征に伴い、観戦ツアーなどが企画されるが満席になることはほとんどない。が、エルコンドルパサーの出走した凱旋門賞の観戦ツアーではキャンセル待ちが出るほどの大反響。個人で出かけた人、報道陣など日本人観戦者数は1000人以上という記録的な数字。それだけ注目を浴びたわけだが、サンクルー大賞出走時、サンクルー競馬場の観客数はせいぜい1000人程度、日本人も100人くらいだった。

シンジケート18億円

ジャパンカップを制し、海外遠征の計画が発表された後にエルコンドルの種牡馬プランが発表となり、シンジケートは3000万円×60株の18億円という破格の金額が組まれたが、戦績を見ればむしろバーゲンともいえる。のちに海外で大活躍するとさらに好条件のオファーもあったが渡邊オーナーは一度発表した額なのだから、と当初の予定を変えようとしなかった。ちなみに同期のスペシャルウィークは12億円のシンジケート。

なお氏は日本以外での種牡馬入りの可能性も真剣に検討していたという。

2006-12-05追記

当初筆者は血が重過ぎてむしろBMS(母の父)でいい仕事をするのではないか?と考えていた。ラストクロップでG1ホースを2頭送り出した。

2007-07-01

初年度はスピード不足とズブさばかりが目立ち苦戦を強いられていたが、ビッググラスが6歳で根岸ステークスに勝利し続くフェブラリーステークスでも3着に食い込み気を吐いた。また唯一芝の新馬を勝ったリキッドノーツは条件戦で15戦連続3着以内の安定した走りを見せ、7歳にして東京新聞杯で2着に入るなどオープン戦線でも侮れない活躍を見せている。中央未勝利で船橋に移籍したルースリンドは矢野厩舎の看板ホースとして南関東の有力馬の一頭に数えられるまでになった。

2年目は同じ種牡馬の産駒とは思えないほど早い時期から芝で活躍する産駒が目立ち、中でもヴァーミリアンとは出世レースであるラジオたんぱ杯を勝ち、クリスマスローズステークスのアイルラヴァゲインは芝1200mを2歳タイレコードで走破した。クラシックではまったくいいところがなかったが、ダート路線に変更してからのヴァーミリアンの快進撃はここで触れるまでもないだろう。さらに異色のステイヤー、トウカイトリックなど様々なタイプの活躍馬を輩出した。地方でもバンブージーコが園田の重賞初春賞を制している。

ラストクロップは早くからイースターが重賞戦線で活躍したが、最後のクラシック菊花賞でソングオブウインドがレコード勝ちというドラマチックな勝利を飾ると、返す刀でアロンダイトが未勝利から5連勝でJCダートを制覇。長いこと出世馬のいなかった牝馬もラピッドオレンジが交流のTCK女王盃を制した。

オーナーの名誉

エルコンドルパサーのオーナーである渡邊隆氏は1999年フランスで最も功績のあった競馬関係者に贈られるランセル・ゴールド賞を受賞。また、2000年には日本の東京競馬記者クラブ賞も受賞し、馬だけではなくホースメンとしても讃えられた。引退式にはサッカー日本代表のトルシエ監督も同席するなど、社交性の広さも伺えた。

父と子と

渡邊隆オーナーの父・喜八郎氏も馬主で、プレストウコウで菊花賞を勝っており、親子でGIを制覇したことになる。なお隆氏はNumber誌のインタビューにて「(最強と思う馬は)父の所有していたホスピタリティ(現種牡馬)が無事だったら」と語っている。

2006-12-05追記:

渡邊喜八郎氏は奇しくもアロンダイトがJCダートを勝った翌日の2006年11月26日、胃がんのためお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

物議を醸したJRA賞

海外での実績が大きく評価され、1999年の年度代表馬(同時に最優秀5歳以上牡馬)に選出されたが、同年日本国内競走への出走がなかったことからスペシャルウィークグラスワンダーのほうがふさわしいのではないかという声が各方面から沸き起こり、メーリングリストや掲示板、雑誌等でもファンどうしで熱い議論が交わされた。1998年度の最優秀4歳牡馬に選出された際も、クラシック二冠馬のセイウンスカイと評価が分かれたがこのときほどではなかった。

制度を変えた?

タイキシャトルを最後にJRAの顕彰馬、いわゆる殿堂入りする馬は選出されていない。年度代表馬の選出のみならず、この部分でもエルコンドルをはじめ95年世代の3強が与えた影響は大きい。殿堂入りする馬を量産することで権威が下がることを懸念していることがその理由だが、エルコンドルパサーの海外での活躍は前年のタイキシャトルよりも、はるかに世界に対して日本競馬をアピールしたわけであるし、テイエムオペラオーのグランドスラムもまた誰もが成し遂げることのできなかった偉業である。彼らの功績が、過去選出された馬と比較して劣っているとは思えないのだが・・・

2006-12-05追記

2004年のJRA50周年記念事業の一環として行われた特別投票で、テイエムオペラオーとカブラヤオーが選出された。2006年、ディープインパクトの凱旋門賞挑戦やラストクロップの菊花賞・ジャパンカップダート優勝で再びエルコンドルパサーが脚光を浴びているため、改めて選出の可能性が高まったかもしれない。

2007-07-01追記

4月26日、2007年度の顕彰馬選出記者投票の結果がJRAから発表され、エルコンドルパサーは197名中135票を獲得したものの選出基準である3/4(148票)には届かなかった。顕彰馬の価値を守るために従来よりもハードルを高くすることには賛成だが、十分資格のある馬まで弾くデメリットを抱えている現在の選考プロセスの見直しは行うべきではないだろうか。

2014-04-23追記

2014年のJRA60周年記念事業の一環として行われた特別投票で195名中156票を獲得。前回の特別投票以降、通常投票で選出されたのはディープインパクトとウオッカのみでそれ以外の年はすべてエルコンドルパサーが過半数の支持を受けていたが、14年越しでようやく選出のはこびとなった。

現時点でジェンティルドンナ、オルフェーヴル、ロードカナロアと十分資格があると思える候補が控えているし、記念事業の一環としての特別投票は今後もありだろう。

2015-04-29追記

競走カテゴリーの多様化により、あらゆる路線から活躍馬が出ていることなどから票が割れ、顕彰馬が選出されづらい状況にあるなか、顕彰馬としてふさわしい馬が適切に選出されることを目的とし、本年度より記者の持ち票を過去の特別投票と同じひとり4票とするほか、投票時期を6月~7月上旬、発表を9月とするなど規定が一部変更となった。

持ち票4は毎年だとちょっと多いかな、という気もする。記念事業の一環くらいでよかったのでは。

最強世代?

エルコンドルの生まれた95年世代は、彼のほかに春秋盾連覇のスペシャルウィーク、グランプリ三連覇のグラスワンダー、マイルGI連覇のエアジハード、二冠馬セイウンスカイ、ダートの猛者ウイングアロータイキシャトルを破ったマイネルラヴ、海外スプリントG1を2勝のアグネスワールドなど牡馬に強豪が目白押し。層の厚さでは近年まれに見る当たり年だった(反面牝馬は・・・例年並みかそれ以下?)。ハイレベルな争いを生んだ背景には、骨折休養を挟んだグラスワンダーを除き98年、99年をみな順調にレースに使えていたこともあるだろう。

>> 参考記事

実は二代目

1989年産の渡邊隆氏の持ち馬に同名の馬が存在した。父スリルショー、母トウコウボレロ。

>> 参考記事

こんな賞も

海外出走ケンタッキー州産馬の99年チャンピオンにも選出された。世界一の馬産地であるケンタッキーでの代表というのは実は凄いことなのだろうけど、他に例がないだけにイマイチ実感が沸かない?

スタリオンシリーズ

ホッカイドウ競馬ではレースごとに種牡馬の名前を付け、そのレースで一着になった馬主に対して、本賞金の他にレース名となった種牡馬の種付け権を与えるというスタリオンシリーズを開催しており、その中にエルコンドルパサー特別も存在する。

2000年の勝ち馬フレアリングマズル(父ホワイトマズル)はその後南関東三冠路線に進出、惜しくも優勝はなかったがすべて3着以内と堅実な走りを見せた。古馬になって短距離路線に転換、重賞三連勝と大活躍した。なおフレアリングマズルは同年のスペシャルウィーク特別も制している。

2001年の勝ち馬はアサティスダイオー(父アサティス)。こちらも南関東に移籍し、準重賞を制し、三冠路線を歩んだが、重賞制覇までは届いていない。

ホースメンの視点

若手よりも大川慶次郎や野平祐二といった年配の競馬関係者の中でエルコンドルパサーの評価が高い。これはかつて外国馬にコテンパテンにやられた過去や海外遠征の困難さを身に染みて知っているからではないだろうか。大川はレース中テレビに向かって「がんばれ、がんばれ」と叫び続けていた。野平はレースが終わり人気の無くなったロンシャン競馬場で、ひとり思いを噛み締めていたという。ふたりとも故人であるが、彼らが存命中にエルコンドルパサーの凱旋門賞を観戦できたことは幸いだったように思う。

その他

現役時の調教時計

基本的にウッド主体で、坂路はほとんど使用しなかった。

脚注

生涯連対率100%
無敗よりも条件が緩いにも関わらず、現役含め14頭しか存在しない。グレード制導入以降、生涯連対率100%のまま引退したG1ホースは、年代の古い順にアグネスフローラ、リンドシェーバー、ミホノブルボン、フジキセキ、エルコンドルパサー、アグネスタキオン、シーザリオ、ダイワスカーレット(現役)の8頭。古馬G1という条件ではエルコンドルパサーのみ。グレード制導入以前に遡ると、旧八大競走を制した生涯連対率100%の馬はガヴアナー、ミナミホマレ、クリフジ、トキノミノル、シンザンがいる(持ち込みによる制限でクラシック出走資格の無かったマルゼンスキーも、事実上同等の扱いだろう)。