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観戦記が見つかりました。

1999年11月28日、引退式───二度目のJC

日本中にその実力を見せ付け、世界への飛翔の足掛かりとなった1年前。そして国内7戦中6戦が府中だったエルコンドルですから、引退式の舞台としてこれ以上ふさわしいものはないでしょう。

Get Your Wings

馬は引退でも横断幕バトルは終っていません。例によって府中正門前で徹夜のぱさぱさご一行のもとに、二ノ宮厩舎の佐々木調教助手と根来厩務員、JRAの中の人ペサックさんが遊びにきてくれました。

横断幕 二ノ宮厩舎バージョン。

パドックで。

※この写真だけ姑息道写真館様より転載。

りきまるさんに引かれて、なつかしの府中のターフへ。

引退式だということを忘れたかのようにブッ飛ばすえび生。

「そのままジャパンカップ出ろ!」と叫ぶ部下(魂の叫び)。えるえるさんは「ジュテーム!」を連呼。

競馬場での勇姿もこれが最後。

ファンとして競馬場で出来ることを終えた思い。ちなみに、海を超えて活躍したこの横断幕は、現在二ノ宮厩舎にあります。

ライバルたちの競演の裏で───

スポーツ新聞に並んでいた「江戸の敵を長崎で」という見出しに違和感が。ぼくは決してスペシャルウィークが嫌いというわけではありませんが、かの地でエルコンドルパサーと死闘を演じたモンジューの勝利を望んでいました。エルを負かしたんだから、これから先勝ちまくって欲しい・・・エルを応援しつづけたファンの多くは同じ心境だったのではないでしょうか。結果はみなさんもご存知の通り、グラスワンダーとの再対決を前に、負けて水をさすわけにはいかんとばかりにスペシャルの末脚が炸裂。タイガーヒルボルジアもいいところなしで、前年の3歳クラシフィケーション首位の英ダービー馬ハイライズがなんとか面目を保って3着、モンジューは追い込み届かず4着でした。

モンジューのオーナー、M・テーバー氏は元々JCに参戦意思はなく、早々と休養に入るところをJRAの必死の説得~家族親類一同全員オークラにご招待、もちろん旅費含めて全部JRA持ちなど聞きしに勝るアゴアシだったようで~により参戦(というより来日だなこりゃ)が実現したのですが、そういう状況でしたから、一度緩めてしまった馬体のネジの巻き直しが間に合わなかったようです。そんな状態でも勝てるとオーナーは踏んでいたようですが、ハモンド調教師は「もう一週間早く調整できていれば」と残念そうなコメントを残しています。モンジュー陣営の言い訳をぼくがするのも変な話ですし、完調ならスペシャルに勝てたなんていうつもりはありません。ただ、もったいなかったな、と。また、2着が香港のインディジュナス(原居民)だったこともクラシフィケーションで前年のエルと比べかなり低めの値となってしまった原因のようです。インディジェナス自身は決して弱い馬なわけではないのですが、同年のキングジョージで大敗しているのが痛いです・・・。2着にモンジュー、3着にハイライズだったら、スペシャルウィークのハンデももっと高く評価されていたのではないでしょうか。

皮肉なことに、この敗戦でテーバー氏は翌年のJC参戦に俄然意欲的になったわけですが、キングジョージの圧勝を最後に歯車が狂いだし、結局ブリーダーズカップを最後に引退してしまい雪辱を果たすことはできませんでした。

追記 [2006-12-21]

モンジューは種牡馬入りするといきなり超大物ハリケーンランモチヴェイタースコーピオンなどのG1ウィナーを送り出し、サドラーズウェルズの後継者として前途洋々の滑り出しとなりました。早逝が惜しまれるエルも最後の世代でソングオブウインドが菊花賞馬となり、アロンダイトがJC親仔制覇を達成しました。あの時代に活躍した馬たちの子供が次の時代を担い、そしていつか約束の地で再戦を果たすことを夢見るのも競馬の楽しさなんでしょう。